置かれた環境での自分の理想像と現実の姿との乖離

こんにちは、とても久しぶりの投稿になります。

 

さて、京都に住む私ですがCOVID-19の流行もだんだんと落ち着いてきた(?)ようで、僕の在籍している大学(学部)の期末試験も現状は対面で行うことになっています。そんなわけで僕も期末試験の勉強を必死にやっているのですが、それと平行してオンライン授業も行われています。大学生生活も2年目に突入し、大学の試験勉強もなんとなく自分なりのやり方が見つかってきました。ですが、時々自分の能力の低さにメンタルブレイクを引き起こすことがあります。

 

正直な話、大学に入学するまでは与えられたハードルを越えることはそこまで厳しいものではなく、それなりに上手にやりくりできていたと思っています。また、自分にとって限りなく不可能なことは周囲の人たちにとっても限りなく不可能なことであって(少なくとも自分はそう思っていた)、だいたい同じ位置をみんなで走っている、そんな環境でした。(これはめちゃくちゃ楽なことです)

 

そんな私が環境を抜け出し、大学生になって新たな環境の中に身を置くことになりました。在籍している京都大学は授業(特に専門科目)の難易度も学生のレベルも高く、生徒が同じ位置を走るなんて状況ではなくなりました。僕自身は基礎的な能力は低く、努力だけでなんとか埋め合わせてきた人間なので周りのハイスペックな学生と少なくとも同じ位置で走るためには結構な努力が必要になってきます。そんな中でふとした時にほんの一瞬ですが感じるのです。

「あっ、同級生と同じ位置で走るためには努力だけじゃ足りないんだ」と。

 

何気ない日常のたった少しの会話、普段の授業において各々が出す意見、授業理解度、それら全てにおいて自分が努力だけでついていくことのできる位置の先を周りの人たちは走っています。周りの人たちだって努力をする、だから差は開いていく。

置かれた環境の中で周囲から期待され、そうあるはずだと思われている自分の姿と現実に自分が判断する自分の姿の乖離が激しく、その差にもがき心がやられていく。

「おまえ、やっぱすげえな」と笑いながら周囲の人を心から賞賛する一方で、そこに追いつけない自分に苦しむ。

もちろん、毎日こんな精神状態にあるわけではなく、普段はのほほんと生活してはいますが、たまに訪れる感情に打ちのめされる日もあるわけです。

こんな重々しいブログを書こうと思ったのも現在自分がまたこの感情にやられているからで、文字に起こせばなんとかなるんじゃないかなと思ったのです。

 

だいぶ楽になりました。また終わりの見えない試験勉強と戦ってきます。

以上、読んでいただきありがとうございました。